無全

中には素晴らしい人がいます。私はそれらの中のひとりです。見た目に関しては何も言えません。外見に関しては何も言えません。同じことを言っていますね。何を考えているのでしょうか。それらの言葉に意味は在るのでしょうか。凄く淡々と文字を打ちますが、何も変わらないその声が、私の中から出てきます。凄くそれを受け入れることが難しい理由は思考がそれを統一しようと骨をおるからです。いつもそれらは2つに分裂します。複数になってしまいます。私はそれに疑問があります。それらは、何もない世界で、動き回ります。動機がないです。この世界は思考の動機がない世界です。思考が思考の中に動機を持ちそれを中心として、この世界を生きることがあります。それは見せかけの内容なのでしょうか。それを保有し、保管し、固執し、大切に固定しようとする時、それに支配されてしまう流れがあります。固執された思考に方向性が束縛されてしまうのです。方向性が束縛を受けると、その思考は完全に身動きできなくなります。身体の動きを制約する時、自ずとエネルギーの偏りができます。身体の中の一部分に負荷がかかり、その部分が壊れます。思考が捉えられない精妙なエネルギーはものすごい種類あるのです。それらを一つ一つ思考で認識することなどできません。この身体や頭脳のエネルギー流れを定義つけることは無理なのです。ある程度の推断はできるかもしれません。しかし、それはいずれにしても固定です。固定は思考のすることです。思考の固定は主に偏りを生み出します。それは明白です。一つ一つのこれらの精妙な流転しているエネルギーは思考の捉えられない範囲で動いています。見えるものだけが全てではないのです。見えるものだけを真実としそれに意味を与え、その意味を固定化し、それを中心にして生きることには困難があります。それらは刻々とやってきます。その新鮮な息吹は常に変わりゆく新鮮なものです。わたしはそれを掴むことさえ出来ず、体験することも出来ません。私を定義した時それを否定することになります。私たちは生まれてもいないし、死んでもいません。この全ての生命の流れは見えないのです。そしてこの現在見えている景色や、五感等で感じれる諸々の体験は全て偽物です。意識を向けること事態が間違いです。貴方には意識などありません。そしてその何もないことが全てとして現れるのです。