いじめの基本原理 他人否定と自己否定の原因

2017年10月10日

いじめはとても苦しく辛いものです。いじめを受けるとひどく落ち込みます。なぜなら存在の否定をされてしまっているからです。いじめを行う人はいじめる対象のことを徹底的に否定します。エスカレートしたいじめは殺人にまでも発展することがあります。そんな敵意をひたすら受けてきたいじめられている人は、本当に心の底から大変な苦痛を味わいます。そして最悪の事態として、いじめられた子は錯覚を起こしてしまいます。

  • 「自分はこの世に存在してはいけないんだ」
  • 「自分は誰からも愛してもらえないのだ」
  • 「自分は生きてちゃいけない人なんだ」等々

その子がこのような自己評価をしたまま大人になった時、とても毎日が苦痛になります。自分の事を徹底的に嫌っているので、常に生きていることに罪悪感を感じ続けます。そして他人から非難されるのが耐えられないので引きこもりがちになります。一度外に出れば周りの目を気にしすぎてすぐに疲れてしまいます。そんな状態では仕事も続けられませんし、自分のやりたいことも出来ません。家に引きこもるしか方法が見いだせないので引きこもりますが、自分と同年代の人々は皆成長しているのに自分だけ停滞していることにものすごく焦ってしまいます。でも人が怖いのでなかなか外に出れません。毎日が辛くて苦しくてたまらないのです。いじめを受け自己認識に錯覚が起きるとこんな状態になってしまう可能性があります。私はこの感情をそのまま体験しました。かなり辛かったので立ち直れないかと思いましたがなんとかなりました。しかし、未だに後遺症的なのは残っています。

この記事では私が思うところのいじめの基本原理を解説します。この基本原理を理解することでいじめを行っている人はいじめをやめることが出来るのではないかと思います。そして、いじめられている人も自己評価を修正することが出来るのではないかと思います。

いじめの根本には自己否定が在る

子供は自己生存本能として何が何でも他人から愛されようとします。自分の周りの人々から無条件の愛情を受け取れない環境に陥ったとき、子供は恐らく自分の中にある世間から愛されないような要素を徹底的に排除しようとします。例えば自分の中に臆病な要素が在るとします。そして、その臆病な要素を持っていると他人から愛されないと感じた瞬間。臆病な要素を徹底的に軽蔑し排除しようとするのです。徹底的に排除するためにはその要素を持っている人を攻撃することで満足感を味わうでしょう。そして敵を作ることによって『自分はその臆病な要素を持っていない』ということを正当化することもできてしまうのです。もちろん自分の中に臆病な要素を自覚したときはひどく落ち込みますし、その臆病な性質を根本から排除できない自分自身を嫌悪します。

いじめの焦点とは人ではなく人の中に在る性質

先程の例で挙げたように否定や非難の的は臆病をという要素でした。先程の子供は人に愛されない要素を自分の中から徹底的に排除しようとしました。このような性質は特に精神的に自立をしていない発達段階の子供の中によく見られます。

親、周りの友達、学校の先生等々。それらから排除すべき要素を教えられることがあります。厳しい親でしたら子供の中に備わっている多くの要素を徹底的に叱ることでしょう。子供は親に叱られることは本当に大変なことです。なので親の言うことに従い、親に愛されるために自分の中にあるこれらの要素を嫌います。そして徹底的に自己の中にある特定の要素[親、友達、先生に否定された要素]を否定しだすのです。その要素が外界に現れるとその要素を徹底的に否定します。なぜなら自分の中にいつまでも消えることのないあの否定すべき要素が残っているからです。

元々備わっている性質を否定することがいじめを生み出す

生き物には元々備わった性質があります。それを否定しなくては愛されないといった環境に育つ子供がいます。現在の例で取り上げている子供がそのような子供です。その子供は、自分の中に存在する性質を否定すると共に、その性質を持つ人々全てを否定します。それは親、学校の先生、友達等々から嫌われずに生きていきたいという子供の本能が引き起こしていると推測できるのです。

いじめを理解することは自己否定を解放する

ここまでざっとですがいじめについて見てきました。

  • 「自分はこの世に存在してはいけないんだ」
  • 「自分は誰からも愛してもらえないのだ」
  • 「自分は生きてちゃいけない人なんだ」

こうして、いじめの原理を注意深く考察していくと上記のような自己に対する判定はただの錯覚であり、惑わしであるということが薄っすらと見えてくるのではないでしょうか。

いじめられている人はその人そのものの存在を非難されているのではないです。いじめてくる相手が否定している要素を自分の中には無いと正当化するのに只々いじめられている人が使われているにすぎないのです。いじめる相手は自分が愛されたいがために、自分が愛されないことを恐れるがあまり貴方をいじめてくるのです。いじめを行う人々は愛に飢えていて自分が否定されることにものすごく怯えてるのです。なので自分が否定されないようにと、他人を否定しだすのです。

  • 「自分は臆病じゃないぞ!なぜなら臆病な奴と戦っているからだ」
  • 「自分は性的な要素を持っていないぞ!自慰を行っている人を軽蔑してるのがその証拠だ」
  • 「自分は怠け者じゃないぞ!怠けている人は全員生きている価値ない。そんなやつが愛される訳がない。だから私は怠け者を徹底的に非難する」

いじめをする人の心の中にはこんな心理が働いています。

  • 『自分の中にあるこれらの要素を絶対に認めてはならない。認めたら自分は愛されない人になってしまう。そんなことは耐えられない。そんなことを考えただけで恐ろしい。』

このことに気づいた時、私たちはいじめを完全になくすことが出来るかもしれないのです。

規制の教育や権威に従わずに自分自身で考えること

子供は非常に弱く未熟なので周りの大人に従わざる負えないかもしれません。しかしある程度育つことが出来た時、自分自身で考え行動することが出来るようになります。その時になにが間違いで何が正しいのかを考えることが可能になってくるのです。人の思考は何かを非難したり正当化したりして独自の空想の世界観を作り出します。何故かこの世界の生き物たちのありのままをそのまま受け入れることをしないのです。ありのままを受け入れないことは破壊を招きます。それを今見てきました。別にいじめられても全く気にすることはないのです。自由に伸び伸びと生きることです。そして、何かを否定することをやめることです。何かを否定しだした時点でその人は既にいじめの加害者になっているのです。私たちは既に愛されています。いや、愛されているというよりも愛そのものなのです。

どうかこの人は否定するべきであの人は肯定すべきだなどと言わないでください。一人ひとりが尊い存在です。そして一人ひとりに自由があります。自由があるということはその分の責任もまた一人ひとりに発生してきます。それを個々が完全に担う時、学びと成長があるのです。そのときに本当の善が花開くのではないでしょうか。

Posted by kazuki