エッセイ

時間的、心理的な恐怖からの防衛が生の破壊へと結びつくことを認識するとき、防衛は止むであろう。 その時、無時間が訪れる。今まで我武者羅に自己防衛の手段を講じていた ...

エッセイ

セラピストは支配されるものでも支配するものでもない。そして、クライエントの思想の味方になるのでも敵になるものでもない。それはクライエントの全肯定を基底とする混沌 ...

エッセイ

誰かに何かを言われて、しかたなくやる時その中に愛はない。 その中に愛が入り込む余地はない。何故ならば、愛は自由と自発性の中に花開くものであり、決して、固定された ...

エッセイ

真の自己を生きるとき、そこには光のようなバリエーションで無数の反応がイルミネーションのように発生する。 それらは全てが輝き、煌めき発現する。そのどれ一つも価値を ...

エッセイ

恐怖というものがある。そして恐怖からの防衛がある。 瞬間的な恐怖は身の安全を保証するが、それ以外の恐怖(人間関係や将来の不安など)は恐怖に出会わないように対策を ...

2018年4月5日エッセイ

組織というものには中心がある。その中心の信念を達成するために皆が協力をする。 例えば、落ち込んでる人を助けるために皆が協力をする時、そこに自然に組織が出来上がる ...

2018年4月4日エッセイ

観念的自己が完全に終わるとき、精神は完全な無に投げ出される。そのときに曇りのない観察が可能になる。 それからが生のはじまりである。その観察があるとき、全てのもの ...

エッセイ

私は、愛しているからと言う理由の下で他人に巧妙に支配され、利用され続けた経緯がある。私の場合は親ではないけれども。 愛しているから叱るという行為は、自己を正当化 ...

2018年4月2日エッセイ

ほぼすべての人間は暴力を振るってくる人に対して優しくできないであろう。 人は人を愛する生き物であると私は感じているが、神経症的な人はほぼ全てに共通して、人間に敵 ...

2018年4月1日エッセイ

私が花を見るとき、陽のあたる広大な土地に咲く無数の花を見るとき、そこにはただそれだけが存在します。 それから、この花は彼の私の中の意味に変換されます。 この花は ...