純粋な観察を阻害するのは自己防衛である

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恐怖というものがある。そして恐怖からの防衛がある。

瞬間的な恐怖は身の安全を保証するが、それ以外の恐怖(人間関係や将来の不安など)は恐怖に出会わないように対策を練るが、その対策は必然的に観察眼を曇らせる。

防衛をするには恐怖を感じなくてはならない。そして恐怖を感じるには、私に向けられる敵意が必要である。そして、不安から身を守るには、敵意を外界に投影しなくてはならない。

すなわち、心理的に安心しようとするその行為自体が、敵意を他人に投影することになる。

その時、必然的に物事や他人をありのままに見ることが困難にならないだろうか。

心理的な不安と恐怖から身を守ろうとする行為自体が、純粋な観察を阻害するのである。

このカラクリに全精神が気付くとき、本来の観察が可能になり、恐怖から解放される可能性があるのである。