暴力

私は人間関係に関して考え直さなくてはなりません。何故かと言うと、相手の期待に答えることが人間関係の基礎を成しているということを前提としていたからです。そろそろその前提を再考しなくてはならない時期なのだと思います。本当の人間関係とはどのようなものでしょうか。私はこの疑問に生まれてからずっと悩まされ続けてきました。何故かと言うと、先程の前提を持って人間と関わる時常に私は多大な苦痛を耐えねばならなかったからです。他人の期待に沿う時私は、自分の本来の動きを抑制し、相手の理想を演じなくてはなりません。相手の理想を叶えるために私は進んで私に暴力を振るい従順を強いなくてはなりません。このような関係を長年続けてきました。私は今でもこのような関係しか人間との間に築くことが出来ないのです。本当の人間関係とはこのような暴力とは無縁のところに存在すると私は思います。暴力を含む関係は本当の関係とは言えないのだと私は思うのです。なので、此処で本当の関係と言うものを定義させていただきますと、本当の関係とは暴力を含まない関係とします。私が、永年固定していた人間関係の在り方というものを粉砕し、新しい人間関係の在り方というものを考えてみたいと思います。多くの人は人のことを流動する生命としてではなく固定された物体の如く扱おうとします。自然というものは常に変わりゆき、その流れはなんとも言い難く美しく儚いものです。人間はその自然と同じく固定され得ないものではないでしょうか。その流れを固定しようと骨を折ることはまさしく暴力の一形態なのではないかとわたしには思われるのです。理想を抱く行為など本来は出来もしないのです。この生命の全てを完全に把握すること。宇宙の動きを完全に理解し、且つ扱える程になれるのであれば、それは可能かもしれません。しかし、私たちはそのようなことは知らないのだと思います。決めつけという言葉がありますが、決めつけを行わなくては恐らく理想は生まれないのです。こう在るべき、ああ在るべきでないという理想は甚だ傲慢な精神の賜物なのです。なぜ、私たちは知らぬものを知っていると頑なに断定し、固持し、先へと進むのでしょうか。なぜそのような絵空事に重要性を付与するのでしょうか。このような行為を私は本来の暴力の姿だと思うのです。なので、本当の人間関係はこのような暴力とは無縁なものであると思うのです。そのように推断し、人間関係の在り方を再考することは意義のあることだと思うのです。本当の人間関係とは、この暴力がなくなることを意味します。言語上での会話に於いてお互いに関係を成り立たせるには完全にことごとく通じ合わなくてはなりません。しかし、それを相手に期待することは愚かです。その時私には何ができるのでしょうか。相手の期待を認知した時私は、どのように行為すればよいのでしょうか。従うことは暴力です。では、反抗すること、逃げること、反応しないこと、虚偽を指摘すること、はどうでしょうか。思うに、内容[期待]に反応すること自体がその期待に法外な意味を与えてしまっているのです。私というものと貴方というものを存在させ、貴方が私を責めている。この無意識的な反応をこの過程の中で含意しているのです。その時、次はこの無意識的な意味内容を再考しなくてはなりません。果たして、私とは何なのでしょうか。そして貴方とは何なのでしょうか。この分離について調べなくてはなりません。

Posted by kazuki