不足感はなぜ起きるのか?その発生と根絶について

2019年12月26日

不足感はどのようにして発生するのでしょうか。それは、人を取り巻く教育によって発生します。

比較による教育と不足感

人は、自己及び他人に対し、良い悪いを判断するとき、比較をするとき、大きな恐怖を感じるのではないでしょうか。悪いものは責め苛まれます。そして、より良いものになりなさいと教育されるのです。そして人がこのような環境で生きるとき、あるべき姿を目指し、安心感を得ることがその人の目的となります。そうなると、目指していないとき、より良い人に成れないとき。ありのままの自分に不足感や罪悪感を感じるのです。

不足感を満たしたい欲求

そして、人が不足感を感じるとき、その不足感を治療しようという切実な欲求が芽生えるのです。そのとき、人には葛藤のない自発的な生、全体的に生きることの放棄が起きるのです。人は自らのこの欲求に気づいているのか気づいていないのかわかりません。しかし、これらのことが、人を模倣や順応へと駆り立て、融通の効かない完璧主義や、正しいと言われる権威を生み出しているのです。

果てしない権威の量産と人間間の分断

そして、そのような精神は、常に新しい権威を作り出し、あるべき姿へ到達しようと奮闘します。それには終わりがないのです。そして、この行為が世界や人間の間に多くの分断を生み出しているのです。

恐怖によって破壊される観察力と注意深さ

不足感は、人が生とは何かを理解し損なうときにだけ発生するのです。それを助長するのは暴力的な環境と恐怖に支配され、混乱した人々達です。恐怖に包まれた環境に人が存在するとき、それから逃れようという切実な欲求が生まれることでしょう。恐怖が強ければ強いほどにそれはとてつもなく強力な欲求になることでしょう。そして、そのとてつもなく切実な欲求が、生の理解をもたらしてくれる人間の安定した観察や注意深さの性質を破壊し、不足感と達成の観念の中へとその人を引きずり込むのです。

不足感の根絶

人がそこに嵌まり込むとき、その不足感はいよいよ現実味を帯び、その不足感を満たすことだけしか考えられなくなってしまいます。そこから抜け出すことができるのは、この行為それ自体が全くの無価値なものであり、害悪しか生み出していないことをその人自身が実感するときだけです。それによってだけ、人は本来の生を生きることができるのです。それだけが不足感を根本から焼き尽くすのです。

日記

Posted by kazuki