私が否定しているもの全てを肯定したい

2017年11月11日

私は本当に様々なものを否定しています。何でもかんでも、否定します。醜いものを全て否定します。それは、私をものすごく苦しめるのです。そして、醜い人を貶すのです。私は、生物や環境を貶すことはないのです。全てを認めているのです。しかし、人のことになると突然否定し始めるのです。なぜなのでしょうか。自分を含め、様々なものを否定しているのはなぜなのでしょう。全てを受け入れることは出来ないものでしょうか。

常に変わる風。けして同じ景色を見せない空。常に変わりゆく全て。それらを見ているときのように人を見れないものでしょうか。なぜ否定をするのでしょうか。この美しい景色とこの世界のすべて。とても美しいそれらの一部なのではないでしょうか。人間は孤立していないのです。自我と言うものはとても嫌なものです。それは、世界と自分を分断します。本当に傲慢なのです。なぜ、そんなことをしたのでしょうか。なぜ、景色を見るように自分自身を見れないのでしょうか。美しく愛すべきものとして認識しないのでしょうか。本当は私など存在しないというのに。

否定とはなぜ起こるのでしょうか。思考は私というものを認識しては、私以外私ではないとします。観念それ自体を私と同一化したとき。きっと自我が生まれるのだと思います。物体に固有名詞をつけることはそれらを否定することではありません。しかし、観念に自己を同一化したとき、私と私以外が生まれるのです。経験者が生まれ、その経験者は他者と異なります。そして、観念がそれぞれの人度に異なってきます。その時私以外が生まれるのです。経験を私としたとき。それ以外が生まれるのです。私と私以外があるということは、自ずと対立が生まれるのです。恐怖が生まれるのです。私がなくなったらどうしようと思うのです。元々私はないのです。本当はただただ現れる全てがそこにあるだけなのです。常に移り変わる全てと共にただそれらがあるだけなのです。否定は全くの誤解です。それは、これは私であれは私でないと思い込んだときから始まるのです。私など、この世に存在しないのです。あるのは常に流転する万物のみなのです。

Posted by kazuki