信念の遂行

2018年4月27日

記事のイメージ画像

信念というものがある。それは自分が本当に心の底で思っていることである。

例えば、人を愛したい。だとか、自己主張したいとか、自由に生きたいとか、部屋を綺麗にしたいとか、思いやりを与えたいとか、自立したいとか、好きなことをとことん追求したいとか、沢山の人と関わりたいとか等々。

これらの信念をそのまま遂行できれば良いのだが、できる人もいるのだが、できない人もいるのである。

私は、恐怖によって、この信念を遂行することができていなかった。

恐怖と向き合う

心理的な恐怖を感じる時、それを回避しようという動きが生まれる。例えば、あくびをした時に学校の先生に怒られた経験によって、怒られる恐怖から、自分に対してあくびを禁止し、抑制する動きなど。

この時、私の信念はあくびをしたいということである。この信念を遂行するには、恐怖と向き合わなくてはならないのである。

生命エネルギーの方向

この恐怖と向き合い、自己の信念を遂行する時、自分の中にとんでもない変化が起きるのである。恐怖を恐怖として受容、肯定し、恐怖しながらも自分の信念を遂行するとき、心の中で深い変化がおき、心が逆転するのである。

その時、回避、抑圧という動きに自己の生命エネルギーを浪費していた精神は、既にエネルギーを浪費しなくなっている。

この生命エネルギーの矛先が浪費される方向ではなく、自然な方向(自己実現への方向)へと転換されるとき、ものすごい力と生きる気力が無尽蔵に湧き出てくるのである。

本当の自分自身になる

この経験をするには、人は自己が怯えている恐怖に出会い、それを受容しなくてはならないのである。

自己主張すると嫌われてしまうかもしれない。あくびをすると怒られてしまうかもしれない。人を見つめると変に思われてしまうかもしれない。笑わなくては人に受け入れてもらえないかもしれない。従わなくては追い出されてしまうかもしてない。質問したら笑われるかもしれない。

そのような恐怖に自ら入り込み、それを受容しなくては、生命エネルギーが浪費され続けてしまうのである。

すなわち、恐怖を受け入れた時に、恐怖から逃げることをやめた時に、やっと私は本当の自分自身に成れるのである。

比較から生まれる自己修練は生命エネルギーの浪費である

誰かと比較して、自分が劣っているなどといって、自己修練をすることは偽の自分を頑張って作ることである。それは、本当の自分ではないのである。

本当の自分とは、劣っていることを否定しないのである。劣っているのなら劣っているのであってそれだけなのである。それを誰かと比較して、変えようなどとは思わないのである。誰かと比較して、恐怖して、その恐怖を回避しようとして、自己修練を行うことは、自己欺瞞なのである。

それは信念の遂行とは程遠い行為であり、本当の自分から遠ざかる動きなのである。

恐怖の否定は生命エネルギーの浪費である

同じく恐怖してはならないといって、恐怖を否定することは、自己欺瞞である。

恐怖という現れ自体も、本当の自分なのである。本当の自分が恐怖という形を通して現れているからそれを否定したり、回避してはならないのである。

それを回避するのではなく、恐怖は恐怖としてそのまま受容することである。

本当の自分から遠ざかるほど悲惨は増大していく

本当の自分から遠ざかれば遠ざかるほど、自信もなくなり、生きる気力もなくなり、苦しみも悲しみも増え続けることだろうと思われる。

そして、逃避、快楽、弁解、羨望、憎悪、憐憫、要求、暴力、等々がその人の人格に、その人の生き方となってしまうだろう。

このような、悲惨をどうにかしたいのであれば、この人は自己の信念を貫き、恐怖を回避せずに恐怖と一心一体となることである。

恐怖と恐怖している者の分離

恐怖と恐怖している者の分裂があるとき、その恐怖は解決されないのである。

恐怖と恐怖するものを同時に経験すること、その2つの動きを注意深く見つめ、その動きを非難も正当化もなく受容するとき、本当の自分というものが現れてくるのである。

教育者たるもののあるべき姿

そして、教育者たるもの、この姿勢を永久に貫き通さねばならない。その時、その人そのものの存在自体が生命エネルギーの塊となって、太陽のように輝き、大樹のように荘厳に、雨のようにしたたかに、その流動する確固たる永遠の愛の光が人々をこの悲惨から唯々救うのである。

信念の意義

このように考えていくと信念というものは思考から離れた行為であることがわかる。

自分が本当に心の底で思っていること。それは過去と未来を全て観察という行為によって打ち消し、その後に残っている現在の動きそのもののことなのである。

これが、信念である。

この信念を遂行する時全てが完璧に満たされる。信念の遂行は希望と絶望がなくなった時に即達せられるのである。