面前に唯入るという動きの中に自由がある

2018年4月25日

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日常の行為全てになんの詮索もなく、入るときそこに自由があり、永遠がある。

瞑想というのは、入るという動きの究極の形である。

それは、迷いという躊躇や、不安という時間や、二元的な分離等々を一刀両断し、粉砕する行為である。

粉砕されるとき、その時彼は現在である。

これを実感するとき、日常の行為全てが瞑想となる。