愛、暴力、教育、人間関係について

記事のイメージ画像

人間関係で大事なことは「愛と協力」でしょうか。それとも「強制と反抗」でしょうか。

愛と協力は発展を促します。そして強制と反抗は抵抗を促します。

私がここで明確化したいことは 、個人の人間関係のあるべき姿というものです。

どんな問題も愛と協力さえあれは人は乗り越えられるし、建設的になるのではないでしょうか。

しかしこの愛と協力がない環境では、人は反抗的になり何も発展しません。

このことは親子の関係を見ると一目瞭然かと思われます。

親子関係から考える

暴力的なしつけを行う場合の子供の発達

もし親が権威性を振りかざし子供を叱ってしつける場合、子供はどんな気持ちになるでしょうか。

子供は心の底では親を怖がり嫌悪し抵抗しないでしょうか。そして無理やり親の言いなりになります。

そしてこの子供は親から教えられる事全てに抵抗感を感じながらも従い続けることになります。

心のなかで抵抗をしながら受け入れるというこの葛藤を学びの基本姿勢として人格に定着化させてしまうのではないでしょうか。

この子供の環境になにか特別な幸運が起きない限り生涯この姿勢を貫くことでしょう。

それは暴力的な人々が決めたルールに支配されて生きるということであり、そのような精神的苦痛を毎日毎日感じながらこの文化に順応していくという姿勢です。

愛と協力を中心とした場合の子供の発達

愛と協力のある親のもとで一緒に育っていった子供はどんな態度を姿勢を身につけるでしょうか。

例え先程の親とおんなじルールを子供に教えるとしても、妥協のない真剣な愛と真剣な協力がそこにあるのなら、子供は暴力的な支配を受けていないので、心の抵抗感を持たずに文化に順応していくことが可能です。

例えどんな文化だとしても親と一緒に協力し本当の愛とともに学習をし一緒に進んでゆくのなら、子供は心に葛藤と精神的苦痛を感じずに生きれるはずです。

愛と協力が健全な文化の形成と発展を促す

その時、愛と協力の意義が見出され、この人間関係の基礎がその子供の生き方そのものとなり、社会に共有され健全な文化として根付き発展してゆくのではないでしょうか。

これが人間一人一人の個人が育てていく人間関係のあるべき姿であると思います。

権威性、支配、強制、暴力、これらは人間を破壊してしまいます。そして本当に数え切れないほどの不幸を生み出すのではないでしょうか。

暴力的な人は何故暴力的なのでしょうか

このことを理解してもなお、暴力的であり続ける人がいるかもしれません。その人は多分何かに怯え、暴力がその人の心を安定させる手段となっているのではないのでしょうか。

そのようにして、恐怖からの逃避の手段として暴力を用いているのではないでしょうか。

これらを自己に問い、見つめ、感じ、観察してみることは大切なことだと私は思うのです。