甘えの意味

2018年3月15日

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甘えとは何だろうか、それは私が思うに他者への依存であると思う。

なぜそんなことを思ったかというと自分の中にそのような感情が現れ、それに気づき、それに名前を与えるとしたら「甘え」という言葉が思い浮かんだからである。

昔、私は「甘え」という言葉を「利他ではない行為全て」と捉えていて、支配者が罪とする行為を行わざる負えず、許しを乞う場合、このことを「甘え」としていた。

しかし、それは結局、その他者に私の生存権利の何%かを渡してしまっているから、その人の要求に支配されてしまうわけであり、その時その要求に添えない行為が「甘え」として罪の烙印を押されることとなるのである。

これは株主に頭が上がらない社長のようである。この場合、恐らく会社の生存権利は株主が持っているのである。

この場合、株主の意向に社長が添えない場合、その社長は非難されるのである。休暇を取れば「甘え」と非難され、自己主張すれば「お前がそれを言える立場か」と言われるのである。

ここまで、例を上げてきたが、つまりこの記事で明確化したいことは、「甘え」とは依存から生まれるのであって、この非難から開放されるには、依存をやめるか、もっと良い環境へ依存の対象を移す必要がある。ということである。

それは、元気に生きるために必要なことの一つなのかもしれない。