現実的理知と空想的理知の違いと用い方

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現実的理知は本能を認め、それを実現するために理知的になることである。

人間の自発性は全て本能から湧き出てくるものである。

本能とは「本当の気持ち」である。本当の気持ちを肯定し、それを実現しようとするとき脳が理知的になり、合理的な思考が意味を成してくるのである。

本当の気持ちに近い言葉を挙げると「幸せになりたい」ではないだろうか。

人は、幸せになるために脳を用い、理知的に成るのである。

恵まれない環境によって育まれる理知

しかし、人は幼少期において特に恵まれない環境に育つ時、自分の本当の気持を否定しなくてはならないことがある。

簡単に言うと、「自分の本当の気持を表現すると、身近な人に暴力を振るわれる」といった生命的危機状態にさらされている状態などである。

この場合は、本当の気持ちを実現するために理知的になるのではなく、生命的危機から逃れるために理知的になる。

両者は、その動機から理知の用い方が違うのである。

不安定な精神的基盤と理知

後者の生命的危機から逃れるために理知的に成るとき、それはものすごく精神的基盤のないものとなってしまう。

この場合、自己を完全否定してしまっているので、まず自分という基盤が無い。そして、自分という基盤がないので、いつでもものすごい不安定感がこの人について回ることになる。

そして、本能という事実から思考が始まるのではなく、本能の否定から思考が始まっているので、常に空想的基盤に支えられた理知となってしまう。

その時、この人の考えることは、弁解的、空想的なものとなる。そして、不安定な精神を安定させようとして、空想的な観念を現実のものとして扱おうとし、空想的な観念の合理化に着手するのである。

この合理化された観念は事実に基づいていないので、外部からの刺激ですぐに崩れる。しかし、この空想的観念基盤はこの人の精神安定の拠り所となっているので、必死で空想を事実だと信じ込む。

空想的理知が問題となるのは、脳が空想と現実の入り混じった世界を認識してしまうので、常に思考が不安定な面である。そうなると、あらゆるものが歪んで見えてしまい、殆どの場合非常に暴力的な精神が出来上がるのである。そして、本能の否定を正義だと思いこんでしまうこともまた然りなのである。

その時、この人は主に自閉的になり、暴力的になり、事なかれ主義になる。

理知は扱い方によっては史上最悪の兵器にもなり得る

理知はものすごい優秀な思考の性質には変わりがないが、それの用い方によって、優秀なだけにものすごく恐ろしいものにもなり得るのである。

よく人間は、幽霊よりも怖いというが、この理知の使い方を誤ってしまった人が、様々な恐ろしい方向にこの理知を用いてしまうことがその原因なのである。

これらのことから、私は「現実的理知」と「空想的理知」の違いを理解しておくことが重要だとかんがえているのである。