自己受容と赦し

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こうあってはならない。という内的専制が存在する。例えば泣いてはならないだとか、強くなくてはならない等々。

これらを満たせないとき、私は自己非難をしてこの世界を住み心地の悪い場所にする。

自己非難をすると、それは自分の外に外在化され、まるで外の世界が自分に対して非難してくると認識するようになる。

こうして世界はどんどん私にとって暴力的に見えてくる。そして、その中で生きることへの絶望感を大きく膨らますのである。

自己に対して内的専制の要求が多いほど必然的にその要求を満たせないという挫折が多くなる。大抵は現実離れしているその要求の大半に沿えないであろう。

そして、沿えない数だけ自己非難があり、自分が駄目な人のように思えてくるのである。毎日毎日その非難にコテンパンにやられる。

ついには全ての自信をなくし、この世界で生きることの自信をなくす。自分は最低最悪な劣等種であるとの実感が精神に定着しその前提を元にして生きるのである。

内的専制はこのような文脈を巡り、最終的には自己破壊へと辿り着く。

もし、自分自身に対して過度な要求をし、その要求に沿えないときに自己非難をしているのならそれをやめることに深い意義があることを理解することは大切なことである。

私は今日、私に言い聞かせた。「泣いてもいいんだよ」「怖がってもいいんだよ」「ちぢこまってもいいんだよ」と。