ありのままを生きること

2018年5月1日

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ありのままという言葉はよく聞くと思いますが、なかなかその真意を実感として理解し、会得している人は少ないのではないのかと思います。

ありのままを生きるとは何かについて考察し、ここで暫定的な結論を出したいと思います。

「貴方のことを理解しているよ」という言葉

最近私は、カウンセリングや教育や子育てについてよく考えているのですが、いざ対面し、助力者として接する時に自己の精神状態が乱れてしまったりして、結果相手にも不快感や、不信感を与えてしまっているのではないかと感じ、常日頃自身のこの不安定な基盤をどうにかしたいと考えていました。

私は、昔から人から指図されたり、貴方のことはわかっていると同情されたり理解を示されるのが大嫌いでした。貴方のことを理解しているよ、とか生き方をこうした方がいいとか言われると、心のなかにものすごい嫌悪感と敵意が芽生え、その助言を私に与えた人をボコボコに殴りたいとさえ思うのです。

それは、どういうことかというと、完全に理解していないのに早急な結論を立て、その結論から導き出した安易な解決策を私に押し付けているように思えたからです。

真の人間理解

私の感じたことは、ほぼその通りでなのです。それは理解とは結論付けられるものではないからです。

真の人間理解とは、途方もないものであって、あなたと私という分離さえない次元でしかありえないことだからです。

それは、今この瞬間を刻々とありのままに感じ尽くすということです。その状態は貴方も私も存在しないのです。言い換えると、貴方と私が存在し、関わり合っている空間自体が私なのです。

それを徹底的にありのまま感じ、観察する動きがあるだけなのです。その時、自己及び相手のありのままに出会っているということになるのです。

結論づけと解釈は理解を放棄する行為である

もし、私と貴方という二人の別々の人格同士の関係であったとしたら、どちらかがどちらかの犠牲にならなくてはりません。貴方の話を熱心に全身全霊を持って理解しようと私がする時、私と貴方は一つになっているべきなのです。

もしそこに、理解という行為以外の要素が加わるとしたら、貴方と私は2つの別々の人格に分離し、理解の放棄があるのです。この理解の放棄が起きた時、私は貴方を結論づけて解釈してしまい、貴方も私のこの結論づけにかなり大きな怒りと憎しみを抱くことになるのです。

このようにして、教育者やカウンセラーや親などと関係する生徒、患者、子供の間に言われようのないあの不信感を生み出すのです。

ありのままの真意と愛

これは、ありのままを生きていないことを示しています。ありのままを生きるとは、自他のない境地を生きるということです。自他のない見地から、私と貴方を含む今というこの瞬間を刻々と観察し、理解する動きなのです。

そのときに、初めて愛が生まれる可能性があるのです。愛とは言葉や解釈、時間や分離を超えた時にやっと触れることのできる繊細なものなのではないでしょうか。

このような関係がなくては、教育や助力の本来の意図は本当の意味で実を結ぶことができないように私には思われるのです。

ありのままの意味と真意を私はこのように感じ、いまここに結論づけています。