支配されることのない心の状態

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支配されることのない心の状態があるというのを私は今までわからなかった。

私の今までの人間観は悪の人間が人間を統制し、統制できないものを排除するものであった。

そして私は悪をどうにかしなくてはならないと感じ、それを達成できないことに絶望感を感じていた。

時間を含む観念の中に埋没するとき、私は支配を問題視するのである。

二元的な世界が善悪を生む

二元的な観念世界に埋没するとき、そこには善と悪がある。

そして、自分が悪になってしまわないように生きるのである。

そして、その恐怖から善を目指すのである。

悪に恐怖した人間の不安

恐怖に敏感な人は徹底的に悪を排除しなきゃ安心できない心理状態に陥る。

ある人は、悪をこの世から全滅させる計画を立てる。ある人は、悪がはびこる世界に絶望し、徹底的に非難し、究極の自己憐憫に耽る。ある人は、悪の仲間入りをして、善に気づかないふりをする。ある人は、悪から離れるために人のいない場所へ隠居する。

この心理状態は常に強大な恐怖と不安に襲われ続けている。そして悪をどうにかせねば生きていけないと思うのである。

そして、自分に徹底的な完璧を求め、それを達成しようとするのである。そうしなくちゃ不安なのである。

二元性は凄まじい不幸を生み出している

しかし、これらの完璧を求め奮闘し、努力をするとき、その行為には生命の破壊という要素が多分に含まれていることをその人は理解しなくてはならない。

それを理解するとき、自分が囚われ続けてきた観念の二元性というものに気づくのである。

観念の二元性というものに埋没した精神がこれらの厄介事や凄まじい不幸を生み出しているということに気づくのである。

そのとき、自然にある問いがその人の中に生まれてくるのである。「二元性からの自由はないのか」とそしてそれを徹底して探求するとき、そこに支配されることのない世界が展開するのである。

精神が二元性を疑いだしたとき支配からの解放がある

この人の精神の性質が盲信的精神から懐疑的精神へと移行したとき。そこに支配されることも支配することもない世界があるのである。

たとえ支配を生き甲斐にする人の奴隷になっても、その人の心の中は全く支配されない。

周りの環境に影響を受けない自由な精神がその人の中に展開するのである。

その人は、一生自己を憐れむのことはない今を生きる人になっているのである。