戦略的愛情と無条件の愛情

2018年3月15日

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愛情には二種類あると思う。相手を利用するために愛する(罪悪感を与え、見返りを求める)戦略的愛情と、なんの意図も持たない無条件の愛である。

戦略的な愛は、相手を支配し、反抗すれば精神的、肉体的に暴力を相手に与える。それは、自己の利益のために相手を利用する人のすることである。

このような環境の犠牲になった人々は、大変な苦痛を余儀なくされる。この犠牲者が、まだ幼い子供であった場合は、この支配から逃れることは絶望的である。

その時、この子供はどんな対策をとるのだろうか。恐らく、無意識的にその子供は親の持っている価値観を完全に全て受け継ぎ、自らもその価値観を絶対だと信じ込み生きることだろう。

親の価値観と自分の価値観を同一化することがその子供にとって1番安全な解決法なのである。なぜかというと、そうすることで、自分の生命を左右する力を持った親に見捨てられることがなくなるからである。

そのような環境で、このような子供が成長するとき、その子特有の自発性というものが必然的に育たなくなる。自分特有の価値観や自発性を持つことは、醜いことであり、すごく危険なことであると考えるようになるからである(実際に親との関係でそうであった)。

自発性が育たないとその子は、世の中で生きていくことができない。いや、できるのだが、誰かに支配されなくては生きれなくなってしまうのである。

自分の自発性を認めることは、ものすごく大きな罪の感覚と、あの強大なトラウマがあってどうしてもできないのである。

この子を癒やし、受け入れ、手を取り、自分自身の生を生きることを激励することが、本来の親の勤めである。

しかし、昔からそのような健全な親はあまり存在しないのが悲しいところである。不幸にもこのような無条件の愛を感じることのできなかった人々に愛を与え、自分自身の生を生きれるように激励し寄り添うことが今を真剣に生きる人々の役割の一つであると私は思うのである。