セラピストとクライエントの関係

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セラピストは支配されるものでも支配するものでもない。そして、クライエントの思想の味方になるのでも敵になるものでもない。それはクライエントの全肯定を基底とする混沌の分析、理解と共に健全な精神とは何かを探求するものである。

それは、愛と成長と豊かさへ向かう人間の根本的な善意によるものでしかなく、それ以外のなにものでもないのである。

セラピストはクライエントに人間的信頼と基本的肯定をその人が生き続ける限り見出し続ける。

つまり、セラピストはクライエントを否定することがないということである。

極端な話をすると、その人が人道的に反した行動を引き起こしたとしても、否定しないのである。

セラピストは、人間的信頼と基本的肯定を持ち続けながらクライエントと探求するのみである。

それはまず初めに只々クライエントの深層心理の徹底理解に向けられる。そして、それの受容と共に友情が双方に芽生えたときに、あの問をお互いの自発性から発するのである。

「健全な精神とは何か」

そして、双方の協力のもと「精神的な混沌の分析及び理解」を進めていく。

そして、患者の知能による自己理解が板に付き始めた時に一歩一歩精神の再配置と変革が人格に生じるのである。

それはクライエントの自発性によるものでしかない。この時期にクライエントは今まで避け続けてきた圧倒的な生の強烈さと向き合うこととなる。

これは生の信頼と統合の過程である。これはクライエントが肉体的な死よりも出会うことを恐れているものである。そんな強大な出会いである。

この生の強烈さと向き合うことができる度合いは、クライエントの熱情量によって変わるところである。

セラピストはクライエントのそれを激励し、強くそれと提携する。そして共に生を生きてゆくのである。

セラピストとクライエントの関係というものはかくあるものである。私はその様に思うのである。