真の意図と抵抗 真の自己の意図へ目を向ける意志とそれに対する抵抗について

何かをしようと思うのだが何かをしようと思わない。この文面から2つの動機を持っていることが推測できる。まずは、前者の「何かをしようと思うのだが」を見ていくことにしよう。

「何か」とは何を目的として行われるものなのだろうか。なんの目的を持ち、何をしようと思っているのだろうか。気分的には私の中の何かとは、まだ何かやるべきことが残っているが、それが何かわからないよいうようなものである。そのやるべきことをやる時のメリットとデメリットはなんだろう。

今思ったのは、その強迫的なものをまず調べなくてはならないということである。徹底的に調べそれそのものの意図を把握しなくては、対処のしようがない。恐らく、対処のしようがないこの停滞状態がストレスの原因ではないかと思われる。なので、まずは、自分自身の中に入って明確な意図を見つけ出すことから始めなくてはならない。

まず何をしようと思っているのか。まずその何か(真の意図)を明確にできない点で一つの障害がある。普通は、その何かをすんなり受信することが可能である。しかし、障害があるせいで、その何かを受信できないでいることは確かである。何かをしようと思うのだが何かをしようと思わないという文言の中に含まれているもう一つの要素は、何かをしようと思うという意図を感じているという点と、何かをしようと思わないという意図を明確にしようという意志があることである。つまり両者が意図していることは、何をしようとしているのかを明らかにせよというものである。

私が行うべきは、何かという意図を明確に認識することにほかならない。これが理解できるとそれ以外に行うことはないということができるのである。そこに目を向けさせないようにさせる無意識下の抵抗も存在していることを私は感じるがその無意識下の抵抗の意図についても今後理解してゆかねばならない。

Posted by kazuki