心の真の強さを獲得するために

2019年3月19日

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心理的な恐怖がある。その恐怖にさらされる強さを人が持たないとき、その人はどうなるのであろうか。

自己否定による恐怖の回避

自己否定というものがある。それは、恐怖に出会うことを恐れ、それをどうにかして回避しようとするときに取る手段の一つである。

自己否定という正当化を用いて、人は恐怖を避けるのである。

しかし、この行動は、対処できないという無力感と、自信の喪失を引き起こす。

その様な状態に人がさらされるとき、人生に対処できないという途轍もない不安によって、自然と精神が安心感と愛情を求め始める。その欲求はとてもとても切実なものである。そのためこの欲求は融通の効かぬ強固なものとなる。

安心感と愛情を獲得するために

ある人は、それを過度な愛情欲求で表す。

ある人は、それを過度な権力欲求で表す。

ある人は、それを過度な独立欲求として表す。

しかし、これらの過度な欲求をどれだけ実現しようと躍起になっても精神の安心感や愛情の感覚は感じられない。それどころかこれらの過度な欲求は人間関係を破壊し、その人の精神を更に混乱させるのである。

この人間関係の破滅と自身の精神の混乱によって、この人の不安は耐えられぬほど高まり、この不安を解消するために、更に沢山の努力(愛情獲得・権力獲得・独立充足)をしてしまうのである。

恐怖にさらされる強さを持つ

この状態の解決は、とても簡単なことで、恐怖にさらされる強さを持つということである。

その時、生きていることの喜びと、真の自立が実感できるのである。そして、その状態で生きるとき、生きることの楽しさや喜び、そして真の自信を獲得していくのである。

しかし、当人はそれができないから、これまで述べてきた様な地獄のような苦痛、絶望、悲しみの渦中に囚われているわけでもある。

では、どうすれば、この恐怖にさらされる体験を思い切って出来るようになるのであろうか。

それには、2つ方法がある。

味方になってくれる温かな良き環境に身を置く

子供の時、周囲の人がその子が精神的に安心して育つことの出来る環境を与えられており、その子にとって、良き理解を示してもらえ、味方になってくれる環境がある場合、その子供は自ら、新しいチャレンジへの一歩を踏み出すものである。

それは、親や友達と一緒にやることもあるし、思い切って自分から取り組んでみるといったこともするであろう。

このようにして徐々に社会参加し、自己実現を行ってゆくのである。そして、うまくゆけばその子の自信が育まれるし、うまくゆかなければ、それを相談することの出来る環境があるので、親や友人と改善に向けて考えることが出来るし、真のコミュニケーションについての共感なども経験でき、人生を肯定的、楽観的に捉えて生きることが可能となるのである。

このようにして、子供は一つ一つその子のペースで無理なくその子の個性に合った成長の仕方で自立していくのである。

もし、このような環境がない場合は、その子は、自力でなんとかしなくてはならない。しかしそれはほぼ無理である。しかし、方法はある。

その方法とは、恐怖の回避が全ての苦痛の根源であるということを完全に理解する。という方法である。

苦痛の根源を徹底的に理解する

このことを徹底的に理解するとき、その回避をしてしまう自分の中の性質に全精神力が傾注されることとなる。そうすると、恐怖という状況がやってきたときそれを徹底的に生々しく体験し、その恐怖の感情を細部に渡って観察するようになるのである。

この全身全霊の傾注こそが、恐怖にさらされる強さそのものなのである。

自分の精神の苦痛の全構造を徹底的に理解するとき、必然的に自ら恐怖にさらされることを選ぶのである。

このときに、その人の強さが喚起され、その強さを体得しだすのである。

結局、人は愛情のある環境に於いても、それが不幸にも得られないような環境に於いても、生きている限り、その人の真の強さを獲得するようになっているのである。

真の強さの獲得を妨害するもの

しかし、現代には、その真の強さの獲得を妨害するものが多くある。

例えば、無知な人による教導である。それは、苦痛を理解しようとする者の意志を踏みにじり、更に混乱させるであろう。

他にも、ゲームへの依存や、娯楽などへの逃避手段の提供である。

これらに、巻き込まれないことは大切である。なかなかこれらは理解しようとする人のエネルギーを吸い取ってしまうので、余計に真の原因に気づけなくしてしまうのである。

心の真の強さと真の愛情の発現

心の真の強さを獲得するとどのようなことが起きるのであろうか。それは、物事をもっと直接的に感じられるようになり、周囲の環境や他人の本当の感情にまで気づくことができるようになる。

そして、他人のことを思いやったり、生きることの喜びや、感動を味わうことが出来るようになる。心の底からなにかに没頭することや、何かを楽しんで行うこともできる。不平不満もなくなり、自分の行動の全てに胸を張って責任を持つことが出来る。

そして何よりも、自己や他者を否定することがなくなり、全ての生命に愛の感覚を感じ取ることが出来るようになるのである。

それは、自他の境界がなくなったありのままの感覚である。この感覚はなにかに没頭しているときの自分を忘れている感覚や、途方もなく美しい景色を目の当たりにしたときの自分と景色が一体化しているような感覚に似ている。

日記

Posted by kazuki