愛を要求するところに愛はない

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世間一般的な考えでは、愛は大切なものであり、愛という観念に不当な意味を持たせ、愛という言葉に執着し、愛されないとか、愛しているとか言う。

もし、愛が善悪の二極のうちの善であるならば、その愛は本当の愛ではないのだと私は思うのである。

私は、幼少期愛されなかったなどと言う人は、愛とは何かを履き違えているし、私は愛されているという人も、愛を理解していないであろう。

私がこういうのには一つの根拠に基づいているのである。

もし、愛を要求し、その愛が満たされなかったとき、その人はそうなるだろうか。殆どの人は、自己卑下し、恐怖に怯え、愛してくれなかった他者に憎しみや復讐心を抱くであろう。

すなわち、愛を要求することは、もうそれ自体が暴力の芽をはらんでいるのである。それは、愛を語る人や愛に執着する人は全て暴力的な性質を持っているということである。

私は、愛されるべきであって、愛されないことは不当なので、非難し、復讐する。

本当の愛とは、言葉や観念の内包する意味合いを超えたところにあるものである。それを見つけるには、まず、愛という言葉の中に含まれる暴力性に気づき、その理解の只中を生きねばならない。